ばんえい競馬 蹴り上げ問題から虐待についての自身の考えまで

まず先に断っておきますが、これは

あくまでも自分の考えであって

他人に押し付けるものではないということです。

俺は牛も豚も鳥も食べるし
時には馬も食べる。
魚ももちろん食べる。

そしてばんえいに限らず
競馬そのものを虐待だという声を
明確に否定はできない。
事実そういう側面があると思っている。
ムチをうつことにも、
競走馬の未来にも正直目を背けてるところはある。

小さな鳥かごで鳥を
飼うのも
犬に首輪をつけるのも
動物に避妊手術を
するのも人によっては
虐待にうつるだろう。

だから俺は自分なりに線を引く。

シンプルにそこに尊厳はあるのか
愛情はあるのか
というところで線を引く。

そもそも人間と動物は本当の
意味で対等にはなれない。
少なくとも多くの人にとって
対等にはなりきれないものだと思っている。

だから完全な自己満足で
動物にとったらどうでもいいことだろうが
食事のさいは感謝の気持ちを忘れないように
してるし
ペットには全力で愛情を注ぐようにしている。

競走馬には全力で声援を送る。

エゴだろうが、それでもそうするようにしている。

ばんえい競馬の今回の蹴り上げからは
愛情を感じなかった。
だからシンプルに腹が立った。

救護のためだった論が噴出したが、それが事実ならば
ここまで腹は立たなかっただろう。今後は顔蹴りではないしっかりとした
救護方法を確立するよう訴えたと思う。

ただ、実際レースをみていて膝をついて起き上がれなくなってる馬を
何頭も何頭もみてきたが、一度も蹴り上げてるところなんか
みたことがない。
だから救護のためという言葉は信じられなかった。
非代替性が認められる行為であるとは思えなかった。

逆に救護のために蹴り上げが必要なら
レース中は人の目があるから、最善の方法をとってないということに
なってしまう。
命の危険より、人の目を重視しているということになってしまう。

まぁ何がいいたいかというと
これからも多くのことが人間のエゴで行われていくだろうが
そこには深い敬愛の念と愛情があってほしい。

ということです。

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